有限会社 三九出版 - 〈花物語〉 辛 夷


















トップ  >  本物語  >  〈花物語〉 辛 夷
                     〈花物語〉 辛 夷
                           小櫃 蒼平(神奈川県相模原市)

 辛夷の名の由来は,牧野富太郎によると,辛夷は蕾の形が〈拳(こぶし)〉に似るからだという。子供のころ,ひとの顔の前に拳を突き出してパッと開き,指をひらひらさせて,「辛夷の花」とさけぶ遊びをしたことがある。「夜も青空辛夷千手の拳開く」(原子公平)という句があるが,子供なりに〈辛夷=こぶし〉という懸詞と辛夷の花弁の開いた状態についての認識はあったのだろう。
 辛夷の花は近くで見ても楽しいが,遠くから眺めるのもおもしろい。春の盛りに信州に旅すると,遠景の里山のところどころに白く滲んだような点々が浮かび上がる―辛夷の花だ。光の具合で山並みが薄く蔭(かげ)になるところでは,その白い点々の輪郭が微妙に淡くなる。そのぶん,かえって鮮やかさが増すようにもみえる。山桜も同じ趣があるが,こちらは気のせいかそのあたりがほんのりと色づいたような感じになる。
 詩人の三好達治に,「山並み遠に春はきて/こぶしの花は天上に/雲はかなたにかへれども/かへるべしらに越ゆる路」(「山なみとほに」)という作品があるが,辛夷の白い花が咲く春の山路をひとりゆく詩人の孤旅を浮き上がらせる佳品である。「越ゆる路=越路」は三好の三国隠棲(妻智恵子とわかれ,詩人萩原朔太郎の妹,アイと三国に住む)という事情にかかわる。辛夷の花は明るい。そしてその明るさには寂しさが伴うのが好きだ。

※「夜も青空……」/『合本 俳句歳時記/角川書店編』角川書店
 「山並み遠に……」/『三好達治詩集』岩波文庫


投票数:62 平均点:10.00
前
「執筆週間」の設置はまだですか
カテゴリートップ
本物語
次
災害から一年経って

ログイン


ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失