有限会社 三九出版 - 災害から一年経って


















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☆特別企画☆東日本大震災

                   災害から一年経って
                         郡 芳一(福島県南相馬市)

災害から早一年,振り返ると,断片的にしか思い出せない。何を,いつ,どのように。日記を見直すと,頭の中と書いてあることのずれが大きい。
今怖いのは,私達の事が,社会から忘れられ,無視され,福島という風評被害のみが残ることです。津波は我が家の足元の田圃まで入ってきました。
昨日(この3月11日)4km程離れた集落(八沢浦干拓)の高台へ線香を上げ,知人や親類等に対して冥福を願い,海に向かって黙祷をしてきました。海抜マイナス2〜3mの内海を干拓した人達の一つの集落で,戸数46戸中犠牲者は36人。住居,田畑、一つ残らず波に飲まれた処です。干拓面積は約400町歩。稲を作って75年。塩害で苦しみ,漸く軌道に乗ってきた矢先でした。12〜3mの高台は避難場所であり,高台からは阿武隈の峰の上に四季折々の蔵王を,隣の丘からは黄金花咲と唄われる仙台沖の金華山を見ることが出来る。青松と白砂,日本北限の丸葉車輪梅の自生地で,自然に恵まれた素晴らしい処でした。そこに,定年後,蔵王山麓に家を建てたが雪かきの辛さから逃れ,海岸の真上に親子3人で移り5年目。夏は飯豊山のガイドや縦歩者の車移動を親子で手伝い,好きな蔵王を眺め,人間関係にも煩わされず,釣りを楽しみ,幸せな毎日が,岸に当たって跳ね上がった18mの津波に消えました。一緒に歩いた山々を想う時,涙が滲んでしまう。この友をはじめ,多くのものを失ってしまいました。
昔から水と空気はどこにでもあると言われてきましたが,それも又失いました。僻みで言えば,原発事故の起きた浜通りは人口が集まらないような政策をしてきたように思われます。国道6号線は一車線。常磐線は,いわき〜仙台間の約100kmは単線。選挙区にしても,生活圏を同じにする旧三区を二分し,人の住まない阿武隈を挟んで中通りの人口の多い福島市と一緒。人口密度からして相馬からは代議士が出ずらく,民意が通らない様にしている。空気も水も汚れず,海産物,農産物もそこそこにあり,雪の心配はなく,貧富の差もない,人々は穏やかで,住みやすい処と自負しておりました。しかし大災害で,生態系が大きく変わり,生活も変わりました。飲料水のダム水源は飯館村にあり,昨年3月14日以来,干し物は室内かコインランドリーと変わり,太陽の光で,外に干すことは90%無くなり,海からは舟が消え,海産物や農産物も作ることは出来ず,水をはじめ全て他に求めなければならなくなりました。
田圃に水を張ることも無く,青田の上を飛ぶ鳥も蛙も啼かず,それを追う蛇も少なく,青サギは一羽も見ることが出来ません。何故か烏や雀までも姿を消し,蚊やブヨもいなく,夏の風物である蛍も少なく,アキアカネは全く見られません。避難先である新潟の雪国から戻った母は,水が張らず秋のままの田圃と農作業特有の騒音が無いことに,季節の変化を理解できず,夏になっても災害時の寒さがそのままで冬物を離しません。その上,放射能も手伝って外に出ることが無く,季節まで失いました。
子供を心配した親達は家を離れ,学校や職場の関係で戻れず,村は年寄りばかりが残り子供の姿が消え,村からは笑顔さえ消えてしまいました。安全と思って避難させていた跡取り孫は,検査の結果,体内被曝と診断され,その精神的な苦痛は計り知れません。 地震,津波に続き又心配の種が出てきました。 数多くのものが消えましたが,最も大きく失ったものは国に対する信頼です。全てが信用できなくなりました。
今,南相馬では6割が津波,放射能に追われ,いつ戻れるか先の見えない戦いを強いられています。私は,仮設に集まった人達にどの様な手助けができるか模索中です。失ったものは取り返せばいい,悪いことは良くなることの元だ,英知を絞って前に進むしかない,神様より与えられた試練を謙虚に受けようと思って。
昨年4月,放射能が飛び散り地元でも多くの人は避難し,又室内で息を殺して外に出ようとしない中,全国から勇気を持って応援に来てくださったボランティアの皆さんには感謝をしております。 津波の痕がそのままに残る現場を見,感極まり涙を流し,手を取り,抱きつき励ましてくださったその厚い気持ちに,諦めと投げやりになりそうな私は勇気と活力を与えてもらいました。その人達の暖かさは一年経った今でも忘れたことはありません。今も再々現場を気遣った電話が掛かってきますし,顔も出してくださいます。全国に多くの仲間・大きな財産が出来ました。今年も農作物は作付けが出来ません。時間が経ち対策の遅さと幼稚さに腹が立ちますが,今なお続いている全国の厚い応援を力にして,道は遠いですが,復興に向け進んで行きます。
放射能は世間で騒いでいる程気にはなりません。日本の科学が必ず解決します。全国の皆さん,復興しつつある南相馬市を見に来てください。そのことが風評被害をなくし,私たちが力をもらえる最短距離だと思っております。

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