有限会社 三九出版 - 「竹の子医者」の日々  その10


















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                   「竹の子医者」の日々 その10

                           星 康夫(東京都世田谷区)

○温度差が問題?○……「寒い冬が」やって来ました。 今日12月19日の朝日新聞に,入浴中の死亡についての記事がありました。入浴中の事故は,冬に多発し,高齢者に多いと。浴槽に浸かる習慣がある「日本独特の入浴習慣」が関係するのではないか?と。浴槽内での溺死,脳梗塞や心筋梗塞,原因としては,室温と水温の温度差の激しさ,血圧の急激な変化,熱中症などが考えられるとし,老人の入浴中は湯船の温度を抑えたり,家族が定期的に声をかけたりする事が大事と。最近よく「半身浴」と言う言葉を耳にします。「入浴の時に上半身を湯から出して……」というものですが,実際にやってみた私自身の意見を述べさせてください。室温と湯温の温度差を小さくすれば半身浴でも寒くないでしょうが,現実に我が家でもそこ迄は管理出来ません。冷えた身体を半身だけ湯に入れて,寒ければ手ですくって湯を肩からかけて頑張ってみましたが,「寒い,寒い,もういいや!!」とザンブリと全身浴をして,「アー,やっとこれで気持ちよくなった」と。邪道なのでしょうが,「これで死んでもいいや」とまでは言いませんが,「これで風邪をひかずにすんだ」というのが本音です。すばらしい設備環境の浴室をお持ちの方を除いて,皆様どう思いますか?
○似非クリスチャンでもサンタになる?○……今年も12月に入りました。街には「ジングルベル」の曲が流れ,クリスマスはもうすぐです。クリスマスはキリスト教徒のみならず,全世界の人が楽しむ行事となっています。私の故郷,宮城県北部(今回の大震災の被災地)には多くの教会があります。私も幼児期に「洗礼」を受け,クリスチャン・ネームも持っています。宗旨は「ハリストス正教会」,ロシア正教です。日本では東京の「ニコライ堂」,函館の「ガンガン寺」等が有名です。「宣教師ニコライの日記抄」(北海道大学図書刊行会)から引用させて頂きます。宣教師ニコライは,1861年(文久元年)に来日し,東京神田の「東京復活大聖堂(通称ニコライ堂)で永眠するまで,50年間にわたって日本人にロシア正教を伝えるべく努力しました。この本の中に前述した宮城県北部での宣教の旅について記載されております。仙台・松島・高城・福田・鹿島台・野蒜・石巻・涌谷・高清水・新田・佐沼(ここが私の育った故郷です)・米岡・南方・石森・登米・石越……,その地の信者の数,会堂の様子等が記されております。さて前述の私のクリスチャン・ネームですが「ルカ」とつけて頂きました。聖人ルカは漢字表記では「聖路加」で医師でした。医者になりなさいと言われた様に思います。この聖路加は皆様ご存知の様に東京の大きな病院の名前にもなっています。さてその後の私ですが,教会にも行かず,クリスチャンとしての務めも果たさず,「転びバテレン,似非クリスチャン」と自称し,平々凡々の生活を送ってきました。でも今年のクリスマスも孫達には,気前の良いサンタクロースになって喜んでもらいましょう。
○解剖実習後の焼き鳥の味○……50年も前のことになります。ちょうど解剖実習が始まり,いささか悩ましい学生生活の時期でした。実習が終り石鹸で手を洗い(手を洗濯石鹸で洗うだけ,シャワー等はありませんでした),臭いを気にしながら下校。下宿に帰る途中,新橋駅を通ります。烏森口の焼き鳥屋に数人の同期生と立ち寄るのが常でした(解剖実習の後で焼き鳥?と思われるでしょうが,そこで安酒を飲むのが息抜きでした。)当時の学制でいう学部1年(大学3年)は一番辛く,又厳しい学年でした。何人かの同期生が下に落ちて行き,何人かが上から落ちてくる,結構入れ替りのある学年でした。成績平均60点未満,1科目でも40点未満は留年ということで,一番厳しいと言われていた解剖学の名物教授の試験は恐怖でした。でもその教授は言ってました「私の試験で落された,と言っている者が居るが,私の科目では殆ど落第させてません。落第したのは全身衰弱(つまり全科成績が悪かった)です」と。幸せな事に留年もせず,インターン闘争の荒波も越え,無事医者となり過ごしてきました。その頃,酒を飲みながら,気分を高めて歌っていた寮歌の一節を紹介させてください,少なくともその頃はこんな気分だったのです。
 骸に集う蟻群や、憂心に狂う胸中なれど、学園の教訓を伝えなば、
 我が身棄ちて犠となし、心砕きて迷うとも、享楽空しく酔うなかれ
○人生のホームストレッチ…か?○……年が明ければ,来年は巳年,私は年男で満72歳になります。レースに例えるならば第3コーナー,第4コーナーを回り最後のホームストレッチに入った様なものです。この「竹の子医者の日々」も10回(2年半)となりました。言いたい放題,悪口雑言をお許し頂き、このようなチャンスをおあたえ下さいました「三九出版」の編者に感謝申し上げます。

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