有限会社 三九出版 - 左見て,右見ざるは間違いのもと


















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☆〔新作●現代ことわざ〕 

          左見て,右見ざるは間違いのもと 

             持山 保信(徳島県徳島市) 

 四国霊場八十八か所45番「岩屋寺」は山の中。久万高原町より面河渓方面へ15キロ程の山奥にあって八十八札所の中では参拝の印象が強く残るお寺の一つでもある。
 もう10年も前の話だが私の還暦を迎えての記念に十回目の巡礼の折,同行の友人が本堂に続く坂道の途中に沢山並んでいるお大師様の石仏の一つに,ある文章が刻まれているのを発見した。曰くには「喜怒哀楽も大師の御心の中」。友人の解釈によれば「何をしてもお大師様は許して下さる」だった。
 また不思議なことに11回目の巡礼以後は,件の石仏が忽然と姿を消したのか何度探しても見つけることができなくなってしまったのである。いたずらに馬齢を重ねる二人に愛想をつかしたお大師様がお隠れになったのに違いないと悔やんでみても後の祭り。遅きに失する反省をする私と友人でもあった。
 そして17回目の巡礼の2016年11月になって,やっと私はお大師様の石仏に再会できたのである。それは全く偶然でもあった。本堂直下に並ぶ石仏の一つに「喜怒哀楽も大師の御心の中」の文字を発見したのだった。
 10年前には気が付かなかったが,石仏の右側には「人の世の いろは坂 上りて還暦」左側に「下りて 喜怒哀楽も大師に心の中」とある。友人は左の碑文の中の「喜怒哀楽も大師の御心の中」だけを見て,独断と偏見を下したのであろう。大変な間違い解釈でもある。罰が当たっても無理はないと思った。
 過ぎた人生は取り返せない。したがってこれから残されている人生をきちんと生きてゆくために石仏の文章を正確に理解しておく必要がある。150年あるいは200年も以前に作られた石仏のように思われるので,碑文の中の還暦の表現は平均寿命も延びた現代においては概ね70歳と読み替えて考えると,「人生70歳までは苦労があっても一生懸命,精進・努力をしなさい。そうすれば残りの人生は下り坂を自然に下りるように平穏で安寧な日々を過ごすことができる。これがお大師様の教えである」ということなのではと,改めて石仏を見る私であった。
 それにしても,10年前にも右の碑文を読んでいればその後の私の人生ももっとよいほうに変わっていたかもしれないと,古希を目前にして下り坂を思うこの頃である。 
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