☆《自由広場》
アマゾンの街で
中瀬 洋子（神奈川県横浜市）
これからお話する舞台は，あの通販会社ではなく，ブラジルを流れる世界の大河「アマゾン」です。2008年，私はJICA（国際協力機構）シニアボランティアの日本語教師として，2年間ブラジルに派遣されることになりました。ブラジルは日本から見れば地球の反対側，季節も昼夜も日本とは真逆です。国土は日本の23倍。北部には世界最大の熱帯雨林を有し，その中をアマゾン川がゆったりと流れています。私の任地は，南緯1度，アマゾン川河口にある「ベレン」という町でした。よりによって，暑さと爬虫類が大の苦手な私に与えられた派遣先がアマゾンとは！ 2年間も蛇やワニと一緒に生活できるだろうか……大きな不安を抱えながら，夫を日本に残し，私は単身ブラジルへと旅立ちました。
ベレンは美しい町でした。樹齢100年を超すマンゴの大木が街中に植えられ，緑のトンネルとなって人々を赤道直下の強い日差しから守っています。歩いていると，しばしば目の前にマンゴが落下しますが，車のフロントガラスにひびが入るほどの速度なので人の頭に当たれば病院行きです。でもベレンの人たちは，「危ないから切り倒して！」などとは言いません。マンゴは人々にとって豊かなアマゾンの恵みなのです。
私は毎朝バスで通勤していましたが，ベレンには日本のようなバス停はありません。なんとなく人が集まっているところがそこなのです。もちろん時刻表もありませんから，タイミングよく来るかどうかはその日の運次第。自分が乗るバスを見つけたら，素早く道路に身を乗り出し，バスの前に立ちはだかるように手を挙げて止めなければなりません。降りるときも同様で，天井からぶら下っている紐を引っ張るのですが，それでも止まりそうにないときは，思いきってドアをガンガン叩くと，周りの乗客が騒いで止めてくれます。バスが止まってから席を立とうなんて思っていたら，一生降りられません。なにしろ競ってスピードを出しているので，油断しているとカーブで椅子から転げ落ちることもあります。その上，暑いからか，面倒くさいからか，ドアを開けっぱなしで走っているバスもいて，私もお金を払おうとして手すりから手を放した瞬間に飛ばされて，乗ったばかりのバスから転げ落ちそうになったことがあります。体も心も丈夫でないとバスには乗れません。でも確実に生きている実感は味わえます。
ブラジルでの私の主な仕事は，アマゾン川流域に点在する日本語学校を巡回し，現地の先生に日本語の指導方法をアドバイスすることでした。日本の13倍もある広大な地域を，バスで，飛行機で，時には船で移動しました。アマゾン川には多くの支流がありますが，ほとんど橋がないため，対岸へ渡るにはバルサという巨大なイカダに乗ります。川風に吹かれながら，ゆったりと川を渡れば，もうトムソーヤの気分です。
いったいなぜそのようなアマゾンの奥地に日本語学校があるのでしょうか。それは，戦前から戦後にかけて，多くの日本人がアマゾンに移住したからです。当時日本は経済危機に直面しており，さらに戦後の人口増加で日本政府がブラジルに移住する人を募集したのです。ところが実際に行ってみると，ジャングルでの開拓生活は想像以上に大変でした。多くの人が熱帯病に苦しみ，アマゾンは「緑の地獄」と呼ばれました。しかしそんな苦しい生活でも，親たちは子供たちのために小屋を建て，交代で勉強を教えました。それらの学校が，今でも日本語学校として残っているのです。
日本語学校で教えるのは，日本語だけではありません。四季のないアマゾンで，日本の季節の行事を取り入れ，折り紙や習字なども教えます。また，「掃除は掃除を仕事とする人がするもの」という考え方が一般的なブラジルでは，生徒が学校を掃除することはありませんが，日本語学校では教室やトイレ掃除も，日本の文化として子供たちに伝えています。サッカーW杯のブラジル大会で，日本人サポーターが試合終了後に会場のごみ拾いをした様子が称賛されましたが，これも日本の教育の賜物でしょう。
ところで，ブラジルには「ジャポネス・ガランチード」という言葉があります。ブラジル人が，日本人や日系人を称して言う言葉で，ポな苦労の末に現地の人々に受け入れられ，信頼を勝ち得ていきました。
異文化と触れ合うのは自分を知ることでもあります。地球の反対側で日本の良さを教えられ，日本に住む私たちはもっと自分たちの文化を大切にしなければいけないなあと思いながら過ごした2年間でした。
アマゾンの街で
中瀬 洋子（神奈川県横浜市）
これからお話する舞台は，あの通販会社ではなく，ブラジルを流れる世界の大河「アマゾン」です。2008年，私はJICA（国際協力機構）シニアボランティアの日本語教師として，2年間ブラジルに派遣されることになりました。ブラジルは日本から見れば地球の反対側，季節も昼夜も日本とは真逆です。国土は日本の23倍。北部には世界最大の熱帯雨林を有し，その中をアマゾン川がゆったりと流れています。私の任地は，南緯1度，アマゾン川河口にある「ベレン」という町でした。よりによって，暑さと爬虫類が大の苦手な私に与えられた派遣先がアマゾンとは！ 2年間も蛇やワニと一緒に生活できるだろうか……大きな不安を抱えながら，夫を日本に残し，私は単身ブラジルへと旅立ちました。
ベレンは美しい町でした。樹齢100年を超すマンゴの大木が街中に植えられ，緑のトンネルとなって人々を赤道直下の強い日差しから守っています。歩いていると，しばしば目の前にマンゴが落下しますが，車のフロントガラスにひびが入るほどの速度なので人の頭に当たれば病院行きです。でもベレンの人たちは，「危ないから切り倒して！」などとは言いません。マンゴは人々にとって豊かなアマゾンの恵みなのです。
私は毎朝バスで通勤していましたが，ベレンには日本のようなバス停はありません。なんとなく人が集まっているところがそこなのです。もちろん時刻表もありませんから，タイミングよく来るかどうかはその日の運次第。自分が乗るバスを見つけたら，素早く道路に身を乗り出し，バスの前に立ちはだかるように手を挙げて止めなければなりません。降りるときも同様で，天井からぶら下っている紐を引っ張るのですが，それでも止まりそうにないときは，思いきってドアをガンガン叩くと，周りの乗客が騒いで止めてくれます。バスが止まってから席を立とうなんて思っていたら，一生降りられません。なにしろ競ってスピードを出しているので，油断しているとカーブで椅子から転げ落ちることもあります。その上，暑いからか，面倒くさいからか，ドアを開けっぱなしで走っているバスもいて，私もお金を払おうとして手すりから手を放した瞬間に飛ばされて，乗ったばかりのバスから転げ落ちそうになったことがあります。体も心も丈夫でないとバスには乗れません。でも確実に生きている実感は味わえます。
ブラジルでの私の主な仕事は，アマゾン川流域に点在する日本語学校を巡回し，現地の先生に日本語の指導方法をアドバイスすることでした。日本の13倍もある広大な地域を，バスで，飛行機で，時には船で移動しました。アマゾン川には多くの支流がありますが，ほとんど橋がないため，対岸へ渡るにはバルサという巨大なイカダに乗ります。川風に吹かれながら，ゆったりと川を渡れば，もうトムソーヤの気分です。
いったいなぜそのようなアマゾンの奥地に日本語学校があるのでしょうか。それは，戦前から戦後にかけて，多くの日本人がアマゾンに移住したからです。当時日本は経済危機に直面しており，さらに戦後の人口増加で日本政府がブラジルに移住する人を募集したのです。ところが実際に行ってみると，ジャングルでの開拓生活は想像以上に大変でした。多くの人が熱帯病に苦しみ，アマゾンは「緑の地獄」と呼ばれました。しかしそんな苦しい生活でも，親たちは子供たちのために小屋を建て，交代で勉強を教えました。それらの学校が，今でも日本語学校として残っているのです。
日本語学校で教えるのは，日本語だけではありません。四季のないアマゾンで，日本の季節の行事を取り入れ，折り紙や習字なども教えます。また，「掃除は掃除を仕事とする人がするもの」という考え方が一般的なブラジルでは，生徒が学校を掃除することはありませんが，日本語学校では教室やトイレ掃除も，日本の文化として子供たちに伝えています。サッカーW杯のブラジル大会で，日本人サポーターが試合終了後に会場のごみ拾いをした様子が称賛されましたが，これも日本の教育の賜物でしょう。
ところで，ブラジルには「ジャポネス・ガランチード」という言葉があります。ブラジル人が，日本人や日系人を称して言う言葉で，ポな苦労の末に現地の人々に受け入れられ，信頼を勝ち得ていきました。
異文化と触れ合うのは自分を知ることでもあります。地球の反対側で日本の良さを教えられ，日本に住む私たちはもっと自分たちの文化を大切にしなければいけないなあと思いながら過ごした2年間でした。
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