有限会社 三九出版 - 一昔前の、不便ながら心豊かだった日々


















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好齢女盛(こうれいじょせい)もの語る    

    一昔前の、不便ながら心豊かだった日々 

            鈴木 雅子(東京都国立市) 

 昔,甲府に住んでいた昭和三十年代初め,県営住宅が建てはじめられた頃で,今でいう団地に,豆腐屋さんが笛を吹いて自転車で廻ってきたし,納豆売りのお兄さんの呼び声も毎朝聞こえたものだった。笛の音を聞くと,アパートから奥さん達がぞろぞろ出てきて,私も小さい鍋を持って出て,豆腐や油揚げを買った。その頃甲府ではブドウ(甲府の人は「おブドウ」と言っていた)も売りにきたし,離れた村から,そこの小母さん達が生みたて卵を担いできて,最上階の四階の戸口までわざわざ持ってきてくれたものだった。天気のよい日には町はずれの畠の方(今は多分もう家が建ち並んでいるだろうが)まで,若いお母さんだった私は,乳母車を押して散歩にゆき,ひばりの声を聞きながら子供達とお八つの時間を過ごしたものだし,高い建物が余りない頃で,四階から遠く中央線の汽車が通るのがよく見えて,汽車が見えると,子供がアーアーと言いながら這い這いして窓に寄っていった事など懐かしく思い出される。息子が今,交通関連の仕事をしているのは,これが原点だろうと人からもよく言われるし,私もそう思う。
 その頃から電気冷蔵庫やテレビジョンが各家庭に普及しはじめ,父が買ってくれた冷蔵庫で出来た氷をお隣に分けてあげて喜ばれたものだし,「スーパーマーケット」というものが出来たのもちょうどその頃で,甲府の朝日通りの,開店したばかりのスーパーマーケットまで,散歩がてら長女を乗せた乳母車を押して買い物に行ったもので,相当の距離だったが,「もっと歩く」「歩く」という長男と,ずいぶん歩いたから,おかげで丈夫でへこたれない子に育ってくれたのだと思う。甲府ではあの頃,お茶専門とか豆専門とかの店が軒を並べていて,お茶屋さんの前を通ると香ばしい匂いがあたりに立ちこめていたものだし,豆屋さんの,色々の模様があるように見える豆など,見るだけで楽しかったものであった。買い物しながらお店の人と世間話をして,山梨の方言を身近に聞き,あ,ここではこんなふうに言うんだ,などと思ったり,それもまた楽しかった。
 長男の小学校入学を機に国立(くにたち)に引っ越したのだが, 何と,地方の甲府の小学校ではもうちゃんと給食があったというのに(小学校の校門の横にその日の給食の見本が展示してあって,楽しく眺めたものであった), 東京のはずれではあるものの文教地区の国立(くにたち)で,まだ給食がなく,お弁当を持ってゆくのだと知って驚いたものである。
 豆腐屋さんのあの独特の笛の音は,国立でもはじめのうち聞こえていたが,いつのまにか聞こえなくなっていた。その頃は国立でも,屑屋(くずや)さんの小母さんが廻ってきてくれたもので,使わなくなった物などを整理するのに何かと重宝して有難かったものだが,これもいつしか見られなくなってしまった。多分「屑屋さん」という言葉も,今の若い人は知らないだろうし,もう死語となってしまっているのだろう。それともう一つ,無くなってしまったものがある。臭い話で恐縮だが,当時まだ一般には普及していなかった水洗式便所だった甲府の県営アパートと違い,その頃まだ国立では水洗式は普及しておらず,俗におわい屋さんと言った汲み取り屋さん――少し前は馬が引いていたものだが――,バキュームカーが廻ってきていたものである。そのうち水洗式がだんだん普及してきて,これも街中で見ることはなくなっていった。今の子供達はバキュームカーなんて見たこともなく,想像もできないだろう。――(すみません,つい思い出すままに書いていたら,話が変な方向にいってしまって。方向転換します。)
 その頃は既製服がそれ程売られていなかったから,生地屋さん好みの模様の生地を買って,自己流で服を縫う事が多かった。沢山あるいろんな模様の生地の中から選んで,必要な長さに,要るだけ切ってもらい,婦人雑誌の付録とか,洋裁の本とかを参考に型紙を作り生地を裁って縫い上げる。子ども服ばかりでなく,自分のものまでも,簡単な夏服などは縫ったものだし,パジャマなどは人目を気にしなくてもよいので,気楽にお手製ばかりだった。
 それから今では何でもスーパーで買ってすませてしまうが,以前はお米屋さんや酒屋さんが御用聞きに廻ってきて,注文の品を届けてくれたものだった。行きつけの八百屋さんは沢山買うと家まで届けてくれたし,「こうして食べるとおいしいよ」と教えてくれたり,残り僅かになると「あと少しだからまけておくよ」とまけてくれたり,お店の人との交流があったのが今では懐かしい思い出になってしまった。米屋さん,酒屋さん,八百屋さん,魚屋さん等も疾(と)うに無くなって,今私はスーパーまで行って人と話すことなく買い物をすます。通りすがりに綺麗な花が見えてもよそのお宅を覗きこむのは遠慮されるし,昔人間が生きてゆくのは大仕事だと思い知る日々である。 
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